2月11日の日記

2007年2月11日
あまねさんから電話@12:30。
一時間くらいやりとりしたかな。
ネットが使えないから
一人で行けるショートゴルフ場探してっていう内容なんだけど。
そんなんでもいいよーやるよー って感じだった。

会話の中で。
「3連休とかいってほんとにすることない。いくとこない。
ほんとつまらん。
前は連休っていったらうれしかったさ。
ほんとやだ。仕事もしょぼいしよ。」
でもしごとはこれからでしょ。
「電話とかいやだよ 外に出たい。」
「おまえは何してたか?すぐにどこにでもいけていいな。」
ともだちは?
「みんな結婚してこどもいるからな。
帰った時期も悪かったよ。」

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あたし、いるよ、いくよ〜!!
でも、こないだ「早い」宣言されてから言い辛くて
言葉を飲み込んだ。
そういう問題じゃないことも分かっていたし。
あまねさんが、そう言っているのを
どう 対応していいのか 
どうしたら 支えてあげられるのだろう。

昨日、ゴルフの先生に
「いつ行くの?もう、自分で決めたことなら絶対よ。
こっちにいても後悔するわよ。好きな人のそばにいるのがいちばん。」
っていわれた。
その先生、きれいな人で、なんかね、いろいろ経験してきたんだろうなっていうひとなの。
だから、なんか、よけい響いた。

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テレビっ子になりそう。音楽って こんなによいものだったのね。

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あほなんだけど。
沖縄料理作れるように って
作ってみたりしてる。
今日はちゃんぽん作った。(でも、楽ちん)
あほだな、あたし。と思いつつ。
でも、あまねさんが置いていった
スパムやらコンピーフやらキャンベルの缶がいっぱいあるしね。
練習するのだー

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今日もほんとはゴルフにおまえも行け と言われてたけど、
どうしよっかな。

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早いか?

2007年2月8日
昨日は電話した。

ゴルフしてたんだそうだ。

あたしのチーム引き抜き話をちゃんときいて
アドバイスしてくれた。

そして自分の研修の話をして。

あまねさんの社内LANから、
人員検索ができるのだけど。
以前のあたしのプロジェクトの人を検索したみたい。
それで、
おまえをいじめた人いなかった とか いろいろみたみたい。

おーなんか ちょっとうれしい。

けどねぇ。
3月に会おうよ と言ったら
「会ってどうする」
「早いよ」
だとーーーーーーー!!

は、早い??? 
そりゃ今決めるのは早いけどさ、来月だよ〜

でもあまねさんにそう言われてはしかたないので。
話を他にふった。

「もうなれただろ」とか
言われた。
そりゃーね。だんだん一人にはなれるよ。
でも どこにいても 何をしても あまねさんを 思い出すよ。

---
異動の話で。
あたしは総務にいけなかったら金融へ行きたい。
でも、どっちもかなわない可能性は大。
あまねさんは、仲のいい上司に頼むか?と言ってくれるんだけど。
まぁ、頼んだら権限の強い人なので いけるだろう。
でも、
「おまえ、すぐやめるんだろ。だとしたら言えない」と。

あまねさんの中で
あたし、辞めるのが決定になってるんだなぁって思った。
もしくは、言えない理由として使ってるとも思うけど。

あまねさんは、沖縄の中でも、周りの環境とか、
より高いところを目指して がんばっている。
東京に近い、レベル、をすごく気にして、
東京で働いてきた事をすごくほこりに思っている。

あたしは、沖縄でなにができるんだろう。。。
・・・・・
あたしも、沖縄で行きたい会社はあって、
(あまねさんとは違うけど)そこにいけなかったら
小さいけれど、行きたいところもある。
うん。
見失わないようにしよう。
自分は、沖縄に行ってからも人生は続くのだ。
今、いくらあまねさんと連絡が取れているからといって
油断しちゃだめだ。
ひとりで、生きていかねばならなくなるかもしれないわけで。

あまねさんは、帰ったからといって
すべてを捨てたわけではなく、
もがいてがんばっている。
現に、「講師っていう手もあるな」とか
研修中に考えたみたいだし、すこしでも可能性をさがしている。
素敵だなぁ。
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あまねさんと来月会えないので…
もう、土日がっつり 自分を癒そうっと。

2月7日の日記

2007年2月7日
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連絡がこなーい。
もう、3月にチケ取りたいんだけど っていうメールを送っちゃうぞ。
やっぱり、節約&得割で、全然チケットとれちゃうし、
取りたいよ〜。
一泊でもいいからさぁ。二月は我慢するから三月には会おうよぉ。。。

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お昼前に、会社の人からメールが来て、
4月以降、私の下で働きませんか というお誘いでした。
育ててみたいといわれて
その人は激務の方なんだけど、うん、やってみたい種類の仕事。

・・・けど、4月に行けるなら総務に行きたかった気持ちもあるんだが
でもこれは行けるかも分からないからなぁ。
うーんうーん。

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こっちでの生活に慣れてくることと
向こうで一緒にいたいということが 別次元過ぎてならない。

願望と現実と。
実際は、あたしがいくら考えても仕方ないんだよね。
したい方向に、進むしかない。
あまねさんは?

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2月6日の日記

2007年2月6日
今日であまねさんが帰って一週間。
早いような 短いような だね、ほんとに。
あの日のこと、今までを思い出して、思い出して、
一週間が過ぎた。

昨日、眠くて、ひとことだけメールして寝たら
夜中に返信が来ていた。
荷物が着いたよう。(船便だったので)
しかも絵文字付き。(機嫌がいい?)

よろこんでお昼にメールをしたけど、
これくらいのペースでいいかなぁ

2月5日の日記

2007年2月5日
実家では 一日中おいしいお茶を飲んで家族と話して
帰ってきた。
しかも台湾のおみやげで赤い糸をもらい、これはどう念じたらいいのかな。
姉と途中で会ったけど、とてもいい感じで会えたのでよかった。

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帰ってきて、日曜の日課のテレビを流して
2日以来連絡していないから、
おやすみ メールくらいしようか  とか悩んで
結局 付き合う前のように 電話していい? っていうメールをした。
すぐに電話がなった。

今週何していた、とか今日何していた、とか今月の予定を言わされた後、
あまねさんは今研修だとか
前の会社で使えるコネがありそうに思っていた人
(あまねさんは使うのいやといっていたけど社員になりたいから)が
転勤してしまっていた、とか
自己紹介でTV会議越しに社長にアピールした、とか
周りは頭悪くて話しかけるなオーラを出している、とか。

それでも、今週ゴルフにいったか?涙流して行ったか?おれも同じ時間くらいに
練習しにいったよ とか、
家を出る時間が7:45で前と変わらないな、とか
あー ちょっとは思い出してくれたかな って思えるひとことがあった。

おまえがうらやましいよ、
オペラシティの夜景みたい。
3月に出張あったらいいな とか
3月くらいには って何度か言っていたので
会えそうかも と思った。

2年後くらいに東京転勤して5年後くらいに戻って来たい と言っていた。

お母さんよろこんでる?ってきくと、
それだけのために帰ったのに  と言っていた。
それが、よかった。

あまねさんが東京で仲良かった沖縄出身の女の子がいて、
そのこと会った、とか
ちょっとむむむ〜 っと思ってしまったけど
まぁ話してくれるだけいいか。と思った。
そのこ かわいくて、、いい感じなんだよね、
明るさ、とか、たぶん、几帳面さ、とか
女のこらしさ、とかが すごく想像するにちょうどいい子で、
あまねさんも以前、あたしに写真見せてくれたときに
かわいいだろ とか 言っていたし。(ほんとにかわいいかった)
ううう。
まぁいいや、そのこ転勤で九州に行ってしまうらしいし、
あたしも がんばって 自分の理想を歩こう。

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あっという間だったな というので、
えー 全然長いよ!というと、
まぁな。でも、振り返るとあっという間だろ
2月はあっという間だよ。
って。

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どういうタイミングで電話したりメールしたりすればいいかわからないけど、
前の、付き合う前の感じ、でしばらくやりたいな。

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結局寝たの2時とかで。
今日は最悪だけど、もう、ほんとにしあわせになれた。

おきなわ何もないしつまらん とか言っていたけど
仕事だけだと思うんだ。
だから。
すぐにあまねさんも 慣れるだろう。

おまえおれと遊ばなくなってお金貯まるんだから
航空券プレゼントしろ とか言っていたけど、
それでも、 会おう っていうことを、暗黙に言い合えるのが 
予想できなかったことであって とてもうれしい。

恵方マキ

2007年2月3日
今日は節分で。
恵方巻を食べた。昨日から実家に帰っているので、
作って、それがまたおいしくて、
あぁ 食べさせたかったなぁ なんて 去年は買ってしまったので思った。
そう 去年は
あまねさんが早く帰ったので寒い中自転車で ちょっとはなれた
おすし屋さんまで買いに行ってくれて
あたしも帰りに一個かって 二人でもくもくと
無言で一本づつ食べ、でも途中で交換して食べた。

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あまねさんにあげたチョコは、ちょうどひとつづつ食べると
バレンタインだよ といってあげたのだが、
あまねさんは 14日に開けるよ といっていた。。。のだが!!
そういえば 買ったときに賞味期限が12日ですって言われたことを思い出して、メールした。
それの返事が即あり(たぶん仕事中の時間。あまねさんはふだんは携帯をしまっているのに。。?)
そういうので ちょこっとだけつながってる感を得ている。
ちなみに
今年はバレンタインフェアに間に合わず、(次の日からだった)
ジャンポール〜にしたら、
あまねさんに 今年は違うのか っていわれた。
でもおいしそぉだったよ。食べてね。

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実家に帰ったのは、
ここで暮らしていく、ということを想像してみたくて
(県は違えど)
あまねさんの 気持ちに 近づきたくて帰った。
わからないんだけどね。
わからないんだけど、
端端で あたしを思い出してほしいな と思った。

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あまねさんは、故郷では ヒーローだ。
帰ったら みんなに知れ渡る、見たいな話とか、
隣の中学にもファンがいた だとか そんな話も聞いたことがあって、
そういうのって 居心地がいいのじゃないかな と思ってみたり。

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実家のTVが42インチになっていて かなりうらやましい。
ほしいなぁ。

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長い、長い三日間だった。
けど、終わったし、
一週間とか こうして経っていくのだろうな。

2月2日の日記

2007年2月2日
長い長い三日間が終わる。
水・木・金ってこんなに長かったっけ。

昨日の朝のメールを最後に連絡はない。
連絡していいものか迷う。
離れて考える っていうのは、
連絡を取らないことも入るのか?とか考えちゃって。

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ほんとは荒れるはずの肌が最近すこぶる調子がいい。
毎年、かさついていたのに。
いろいろ変えすぎてて何が原因かわからん、、、けどやっぱり
気を使うのと使わないのって違うのね、と再認識。

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プールに通い始めたせいか ほんと眠れる。
もともとドコでも寝られるんだけど
今は救いだ。

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部屋に帰ると
あまねさんが わっ っと泣いた、ベットの空気を
いまだに思い出してしまう。
「こうなるから おまえと付き合うの嫌だったんだ。
ごめんな。ほんとごめんな。」

あまねさんが泣きすぎてあたしはうまく泣けなくて
「意外と○○ちゃん(←最近あまねさんはあたしをふざけてこう呼ぶ)の涙ぽろぽろ攻撃がなかったね」
って言った。
あんなに泣かれてびっくりしたんだもん。
ずっと平気な顔してさ。東京離れたくない〜とか言っていたのに。

忘れたくない。忘れないでね、あの日を。
---
あまねさんが帰ってしまったことを
だーれにも言っていなかった。
現実になるのもいやだし、
じゃあ って予定を入れる気もしなくて。
でも、昨日、あまねさんと実家の近い先輩にメールしてみた。
あたしが沖縄でやっていけない理由が 
彼女なら分かると思うの。
もしくは、
思い違いかもしれないけど。

元彼女と付き合っていたときも、
「多分那覇とかの人と結婚する」って言ってた。

あまねさんの親戚って実はすごい人が多くて。
おじいさんも社会的にすごいひとだし、
おじさんも文化的に有名だし、いとこも実は、、、有名なひと。

家柄でだめなのかな、もしや… 
---
振り返って、
ところどころで もう終わりな って言ってきたあまねさん。
帰るとき、楽だからだったのかな。

---
あたしの周りでも、すっごい好きだけど、
彼のことを考えて 離れたっていうこがいる。
なんで できるんだろう。
あたしわがまますぎ?
---
わからない。わからないまま とにかく今日から週末だ。

2月1日の日記

2007年2月1日
昨日は
落としていた銀行のカードが見つかったというので、
警察に取りに行った。
そしたらたくさんのカードをまとめて拾ってくれていた!
先週、改札前でお財布からカードがばらばらと落ち、
そこで あまねさんからもらった さくらやのポイントカードとかもなくしてしまい、すごいショックだったのだ。
あ〜よかった とか思って
今日はいちにち休みなあまねさんに電話してみた。
ほんとにばかだなぁ といいつつ
今、会社から駅まで歩いてみてる とか
夕方納車だ とかちょっと話して。

うーん。でも、電話しないほうがよかったかなと思った。
あまねさんの中では 終わった話なのかとも思うくらい。

---
仕事が終わって、気力もなかったけど久しぶりにプールに行った。
今年の夏よく通ったプール。

空港で、あまねさんが何度も何度も、
「楽しかったな。本当に楽しかった」と言ったけど、
本当に思い出した。
二人で歩いていったり、小学生用のプールで二人きりで占有したり。
あまねさんが足をばたばたさせたりして
楽しませてくれたこと。

すっごい思い出しながらもくもくと泳いだ。
また やりたいよ。
日常を あまねさんと過ごしたいよ。
---
部屋に帰って思い出して、
あまねさんの会社メールの転送をすべく電話して
パスワード教えてもらった
(あ、、、こう振り返るとあたししつこいな。。。
もうしばらく電話やめよう。。。)

---
うーん。
うまく、進めていないような。

さっき、今日入社なのでメールをしたら
簡単な返信がすぐあって
このくらいがいいね。

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色々考えたくなーい!

---
最後にあまねさんが言っていたのは、
おれのおかあさん、おれを生んでから楽しいことひとつもなかったはずよ。って。だからごめんな、って。

あったかいひとの元に生まれて、
あったかいひとに育ったんだなと思った。

---
あまねさんが あたしとは沖縄でやっていけないと
言ったこと。

文化。とか
慣習をしらない、とか。そういうの?
でも、それはだれと出会おうがどこにでもあることで、
うちの親もあたしが東京にいる時点で
そりゃ望みは地元のひとだろうけど覚悟はあると思う。
全国で考えているし、もしかしたら北海道とか
はたまた外国の人かもしれない。

代わりはいないっていうのを伝えたいの。
心底わかろうとしてくれて大事にしてくれる、ひと。
心底わかりたくて大事にしたい、ひと。
一緒に物事を乗り越えたいひと。

一緒にいられたらしあわせだ。
あまねさんはそこまでしなくてもいいじゃない と思っているかもしれないけど、
そこまで のことでもないんだ。
例えば、自分の親か、あまねさんか ってなる日がくるかもしれないけど
それは検証済みじゃない。何度も、あまねさんを優先してきている。

あまねさんは 沖縄に自分がいるならば
ナイチャー(本土の人)をばかにして生きていきたいのかもしれないな。
そうでないと、やっていけないのかもしれない。
だから、沖縄の人と って思っているのかも と思った。

そのときのベストで生きてきたあまねさん。
たぶん後悔とかしない人。
そしてベストといえる人を選べるひと。
それでももし
あたしを選んでくれる、、、としたら なんだろう。
でも一年じゃ、、、うん。
心底愛を捧げてきた自信はあるけれど、
それはこれから出会う人からも受けるであろう。
と思った。
なにが、そんなにもあたしが沖縄でやっていけない理由なのだろう。

たぶん。あまねさんは沖縄にいると思う。これからも。
でも、どこでもあたしは一緒にいたいんだけど、
こうして書いているうちに、
あたしの身勝手さであまねさんに迷惑かけることもある って思った。
だからといってあきらめられはしないんだけど。
あまねさんのベストになりたいよ。

1月31日の日記

2007年1月31日
昨日は夜1時半くらいに電話が来て。
何してた?
寝てたか?
こっちはひどいよ。
環八の音ききたいよ。
コンビニもなくて真っ暗だぜ。
これに慣れたくないなって思う。

って。
そして、空港最後であたしが間違って入れたハサミを
検出されて 最後までおまえはやってくれたなぁ って。

飛行機見えたか、とか10分位話をして。

---
泣いたあのあまねさんの顔と感触を何度も思い出しては、
どきどきする。
あまねさんて 外では絶対手もつながない人。
それが、ね。暗かったとはいえ衝撃的だった。

---
この半年でしたいこと、するべきことリストは作ってあって。
忙しく過ごせるように、やることはたくさんあるけど、
あまねさんが言う、考える、ということがあたしにとって
大きな課題だ。

あまねさんがいうベスト、
が本当にベストとはあたしには思えないけれど
なぜそう思ったのだろう。

---
リセットすることなんてそもそも無理なのだ。
何を見ても思い出す。
無理なんだけど、
このまま流された生活をするのではなく進みたい。
あまねさんが言っていた距離 っていうのは
完全に忘れた生活をすることなのか、
それとも 連絡とりつつ 距離が離れていると言うことなのか。

さっき、用があって電話をしたら
いろいろやること多い〜 と言っていた。

今日を忘れない

2007年1月30日
昨日は、最後で、オペラシティでごはん。
最後、お互い代わりができるとかそういう話であたしが泣き、
それでも楽しく終わる。

---
今日は、起きてスーツケースにつめ、
新宿で時計を直して、
江戸川へ。あまねさんが東京で最初に住んだ場所。
コーラで乾杯して。

---
家に戻って、あまねさんにマッサージ。
その後スーツに着替え。
あたしがして っていったネクタイをして。
トイレに行って戻ってきて。
ベットにすわり、
ティッシュで鼻を押さえるのかな と思ったら。
目に当てた。
声を出して、泣いた。
ごめんな といい泣いた。
あたしがとなりに座って。あまねさんは話してくれた。
「離れるのはおれも嫌だよ。
一緒にいたいよ。楽しかったし。
...すぐにとは言わないけど、
距離を置いて、そのときまで考えて、、、
おれの親とかおまえの親とか、仕事とか、もっと大きな意味で、考えよう。」

空港で屋上に行き、お茶をして、また屋上に行った。
あたしの手紙を読む っといって(チョコと共に渡した。)
読んだ。読んで、途中で、泣いていた。
そして、
「もー最後までやってくれるね!もう絶対読んだら泣くって思った」って言ってあたしを抱きしめてくれた。
「もう、本当に離れるの嫌だ。
不安 っておまえ書いてたけどおれ好きだったよ。
離れたくない。
本当は、おまえを沖縄に一緒に連れて行きたいし、
ずっと一緒にいたい。
ほんとは、毎週末こっちでおまえと過ごしてもいいと思ってるけど、、、それは現実的じゃないしな」
「楽しかったな。あっという間の一年だったな。
本当に楽しかった。
おまえと付き合ったの後悔してないよ。」
「けどな、
おれ、おまえとは沖縄で一緒とは考えてない。
おまえとは こっちで一緒がいい。
さっきも言ったけど、
お互い、おれは、沖縄の人と、おまえは、東京もしくは
地元の人と一緒になるのがベストだと思う。
おれは、今は、そう思ってる。
だから、おまえに好きな人ができたらつらいし
そんなの聞きたくもないけど。
そうするのがいいと思ってる。
でも、もう、友達にはなれないな。
だから、
半年、2年、5年後、どうなっているかね。
おれも考えるからおまえも考えて。
がんばれよ。一緒にがんばろうな。」
と、ぎゅうとして、手をつないで。話した。

あたしは
離れたくないっていってくれたあまねさんの言葉がうれしくて
びっくりして
でも、やっぱり ベストじゃないって言葉にショックで。

---
死ぬわけじゃないし、遅くとも半年後には会おうな。
来月とかおまえとの電話代すごそうだな。とか
言った。

どきどきして あまり覚えていなくて
しかもあまねさんが泣くと思わなかったから それにもびっくりして
最初、東京を離れることに泣いているのだと思っていて、
あたしとはなれることを一切口にしていなかったから。

着いたかな。

まだ、実感ないよ。
今日、を忘れたくない。

1月29日の日記

2007年1月29日
金曜日からのこと。
金曜日は、セールで待ち合わせた。
あまねさんはシャツとネクタイを大量に購入。
あたしもきれいめのカットソーが買えた。

その後あまねさんは お茶 と言って
慕われている取引先の後輩?に会いに行き、
あたしは帰って旧居の掃除をした。
その後で駅でごはんを食べた。

---
土曜日は、いつもどおり、
朝となりの駅までごはんを買いに行って
食べてちょっとだらだらして
ゴルフへ。その前にちょこっと電化製品をみたり。

ゴルフの先生に、帰り際、今日で最後です、と彼が告げると、
えー!うそー と言って、
どうするの!?っとあたしに言った。
あたしは以前、この先生に聞かれたとき、言葉がでなくて
あまねさんに「いや〜来ないでしょう」って言われたんだ。
で、
えと・・・少ししたら行きます と言うと、
「それがいいよーもう、ね!あなたたち見ていて
ほんとに切なくて切なくて。
もー 向こうで向こうでひとりなんだから大事にするんだよー(とあまねさんをむき)そっかーよかったよかった」とあたしの
顔を掴んでぶんぶんふった。
あまねさんは、はい と半笑い。

そっか。切なく映っていたんだ。

まぁその後で
「何が行きますだよ」ってあまねさんに言われましたが。

帰るときに、ちょっとあまねさんの好きな臨海公園へ。
すっごいキレイだった。
東京都いいなーっていうのも、今だけかな とか。
再来年とかいたりしてな とまた言っていた。

帰り道、おまえはそう言ってて来ないよって言われたで
??ほんとにそう思ってるの?心外!というと、
「思ってないよ。おれが何を言っても
来るときは来るんだろ って思ってる」って。

この日は今半でごはん。
帰りに、温泉とか一泊してもよかったな と同じポスター見て
同じことを思った。
---
日曜日。
一回ジェットコースターに乗りたかった とか
今から行くか とか言っていたけど
結局、あまねさんの時計を観に。
途中、出待ちの集団に会って
突如よしもとを見に行くことにした。
席は完売していたが、おばちゃん集団に
団体券を売ってもらえた。

劇場の、となりに、あまねさんが、座る。
このことを 噛み締めた。

結局迷いに迷って 時計購入。記念だそう。

帰って旧居でよく利用していた中華やさんに
最後なんで と無理をいい 出前を取った。

---
夜。もう、1時を回り。
あまねさんが会社の携帯の削除をしながら。
この部屋は結構いいよ、あれをあそこに移動して・・・
まだごちゃごちゃしているな。。。
としばし考えた後、、、
「どうなっているか、夏、にな。
ゴルフするかー するとしたら沖縄な。
夏、半年後、な。
多分お盆休みがこっちと一週間くらい違うから…」
というようなことを言った。
(覚えていたかったけど どきどきして覚えていられなかった)

未来の予定、をあまねさんが口にした。
すっごいうれしかった。
びっくりした。
このことで、半年はやっていける、と思った。

おまえは、本当にやりたいこと、と後体質改善な。
とも 言った。

---
実感ないな と散々言い。
二週間とか一ヶ月したら、あーなんてことをおれはしてしまったんだって思うんだろうとか。

---
最後まで、あたしとの時間を過ごしてくれていること。
半年後の予定。

これでも、しあわせ。けど、もうちょっと会いたいよ?

今日と、明日一日が
あまねさんにとっていい日々でありますように。

1月26日の日記

2007年1月26日
引越しの日。
あまねさんが、あたしの実家からの荷物の引取り、
自分の家の沖縄行き・あたしの家行きの荷物の立会いをしてくれた。(一個の家から二箇所。)
何度も電話した。
しかも、駅に置いておいて撤去されていた自転車も取りにいってくれたし、
新居の電気も選んでてくれた。
夜も、取り付けてくれた。
ありがとう。

---
おれの荷物〜って思って思わず、
この荷物ってすぐに船に載るんですか って聞いちゃったよ〜
って言っていた。
あぁ 本当に帰るんだ って思った とか
おまえはいいなーいられて とか 言っていた。

しかも、、、
しょうがないだろ 生まれたところが違うんだから。
沖縄で生まなかったお母さんを恨め とか言われて、
突き放された感じがした。。。
やっぱり、
上司が 地元同じ人がいい とか吹き込んだのかな。
とか思ってしまった。

このひとことって、おまえが沖縄来ても仕方なんだ っていう
宣告のように思えて落ち込んだけど、
言葉通りではなく、
ほら、あまねさんて さみしいと突き放すじゃん って
勝手に思って、あぁ、彼なりにさみしいのね って思うことにした。どうしようもない事実だし。
---
でも、旧居の片づけをして、
二人でダンボール持って歩いて 夜逃げみたいだね って言ったり、
おととい、この家(旧居)からこの道も最後だぞ と言ったり、
最後のお散歩 と称してあたしの家を見に行ったり。

---
週末の予定を話していて
おまえと過ごす最後の週末だもんな
って言われて、
わかっているんだけど、どうしようもなくさみしかった。

でも、いろんな友達との誘いも全部断っているのも知っているし、
そういうところが、本当にうれしいけど
あたしとは「最後」なのかな っても思ったりする。
ほかの友達は 次 があるじゃないって。

---
やっぱり、ひとりで暮らすことを想像して
いやだーどうして帰るの とか
言ったら
あまねさんは
しょうがないだろー と言っていた。

---
もう、ひとつひとつが。
結局、ソファはあまねさんが持って帰った。
欲しかったけど、あまねさんに持っていても欲しかったからいいかな。
あたしが沖縄いくとき大変だし とかも思ったし。

---
後、数えてこなかったけど、今日を入れて4日。

旧居最後の日のお風呂で、
あっという間だったな っていうひとことがあった。

あっという間。楽しかった?

---
こわくて、こわくて 仕方がない。
今日一緒に会社に行き
多分、退職届けをだし、
PC携帯全てを返し。

辞めるのってあっという間なんだな って言っていた。

---
あまねさん。あたし こわいよ。
あまねさんも こわいよね。

---
自由な生活ともお別れだ と言っていたけど
最後まで、一緒にいられて それでも自由だったって
言ってくれてよかった。

---
今になって、あまねさんの背中を押したことが
よかったのか悪かったのか、分からない。
押さなくても、あまねさんが
転職をしたであろうことは 色濃いけど、
それでも、引き止めるべきだったか とか、
それは、本当にわからない。
ただ、今のこの毎日を手放すことは事実で、
それでもあたしは、彼を帰してあげたかったんだと思う。
あのままじゃ、
このままじゃ、
たぶん、だめだったんだ。と思いたい。
あまねさんも、心に強く母親のことを思うし、
あたしも、
というか、
あたしは 本当に まだまだ幼いと思う。
この半年で何が変わるともいえないけれど、
大人になりたい、と強く願っている。

沖縄に今いる友達をとても信頼していて、
あたしも、
そんなひとになりたい。

1月25日の日記

2007年1月25日
お腹が痛くて早退した次の日、
あまねさんと一緒に出ようって言って
次の日も休んだ。

で、飲み会(あたしの前のPJの送別会)に参加。
だいすきな、上司と先輩たちに久々に会えた。
上司は、これは壮行会だ といいつつも、
あたしは違うPJになったけどこうして飲もう って言ってくれて
うれしかった。
しかも、あたしをPJに引き入れた理由とか、
苦労とか、いろいろ。。。。
あたしは、 現状に満足しないとこが気に入ったんだそうだ。
(あくまでも研修のレポートをみて)
この上司に恥ずかしくない仕事をせねばと思った。

この日はあまねさんも飲み会。
社長と握手したとか、
今度の会社の役員が部下だったひとをみつけたとか
なかなかよかったみたい。

---
昨日は有給をとって引越し準備。。。のはずが、
あまねさんが今度は腹痛。。。
おまえもこんなに痛かったのか〜なのにおれは
うそだろー って言ったんだよな
でもおまえはうそだったろう とか
そんなこといってずっと寝ていた。
でも、あまねさんがいるだけでうれしいあたしは
せっせと片づけした。

夜に、ほんとにごめんなーありがとうな と言ってくれた。
最後の夜だから って一緒にお風呂に入った。
寝るときも、頭を抱えてくれた。
朝も、ちゅうしてくれた。
がんばれよーってぎゅう ってしてくれた。

---
昨日の会話で、
二年後どうなっているんだろうね
おれ、二年後に 東京転勤になってたりしてー とか
言っていた。
ぎくっとして、ありうる。。。と思った。
うん、ほんとにどうなるんだろう。

そして、おまえ、おれの車に乗りたいかーとか
言っていた。。。ほんとにもう、、、

---
夜に、おまえ これから ちょっとつらいな ってぽそっと言った

そうだよー って言ったら半笑いしていたけど、
お姉ちゃんに甘えろ とか言っていた。

あまねさん。帰るまでにもっともっと話そうね。

---
おまえ、旅行の写真どうする?
っていわれた。
おー ほしいなんてめずらしい。
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お話

2007年1月23日
今日はモーレつにおなかが痛くて早退し、
駅までたどり着けずに途中の内科に寄り
ベットをお借りして休ませて貰った。
注射をして少し休んだとき、あまねさんに連絡を取ったのだか
大丈夫?どこの病院?っていう
心配の仕方がよかった。あまねさんらしい。

帰っても、寝ていて、一緒に寝た。
夜もなんとなく気を使ってくれていた。

夜、東京タワーを見た後
あまねさんが携帯でゲームをし、
あたしがあまねさんのジャージのパンツに頭を乗せて
話をした。

まさに東京タワーってあまねさんなんだ。
「おれがこいつ(もこみちくん)と違うのは、
昔こんなにいいこじゃなかった。だから、今、
わるいことしたなー って思う」
「おれ、このドラマ今だから落ち着いて観れるけど、
去年見てたら、絶対夏に帰るーってなっていたはずよ」
「おれんちはぜったいおまえんちよりも苦労しているだろ
だから帰るんだ。一緒にいるだけでいいんだよ」

と。
でも、夜に、いいなぁー東京いいなぁー って。

あまねさんと こういう話をちゃんとゆっくりしたかったし、
気持ちを知りたかったから本当にうれしい。

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1月22日の日記

2007年1月22日
昨日は外に出かけたが私の優柔不断さで
自業自得の自責をして ひとり機嫌悪くなってみたりしていた。

夜、本当にうらやましいんだぜ と言われた。
「親が元気で二人そろっていて
次女で
帰ろうと思ったら帰れる距離で
なんでもやりたいことできるだろ。

でも、藤さん(あまねさんの上司。同じ状況で実家に
帰らず後悔している人。だからあまねさんが帰ると
決めたと思う。。)
にしかおれの気持ち分からんと思う。」

そこまで藤さんだって後悔しているとは思わないけど。
東京で成功しているのだし。

「まぁな。」

...と話は続き、あたしの話へ。
「おまえ、本当に広報部行きたいなら 
おれが藤さんに行ってやろうか?」

(藤さんは執行役員なのだが
えらくあまねさんを気に入っていて釣り場か日誌のような二人。)

「彼女とかいいのか って藤さんに聞かれてよ、
まぁそうしたほうがいいよな って言われたんだ。
で、おれが火曜に飲み会で 実は藤さん…おれの彼女が広報いきたいんだけどっていうか?
おれは帰るから後はこいつをよろしくお願いしますって言うか?」

なんていう話をしていた。
...あたしを藤さんに紹介してくれる気持ちになっただけで
ちょっとうれしい。(異動の話は別として、
大事な人に紹介してくれると言う意味で)
ましてや同じ社内だしね。
しかもまだ あまねさんは あたしを彼女と思っていたんだ。
うれしい。
でも、
えーーー あたしを置いていくのは(別れるって言ったかな)
仕方なくないんだよー!!

あたしでも、
半年後に行くよ? って言ったら
広報行って半年で辞めるんなら おれ紹介できない だと。
そりゃそうだよ。
「おまえ、こっちで広報できるのと
沖縄くるの どっちしたいの?」

こっちで 広報したいけど、
そりゃできたらいいけど、
でもね。でもね。
広報っていっても100%やりたい仕事の広報ではない(うちの会社の特性的に)し、
それは沖縄の会社で叶わないのかっていわれたら、、、うーん。
あわよくば、今の会社のグループ企業の広報ができるとなったら
そりゃ本当に大きなことだ。
(なくもない話ではあるけど)
でも、
あまねさんいなくてもよくなることにはならないと思う。
もしも
沖縄で失敗をしたら
逆に
こっちでチャレンジしてもいいとは思っている。

本当はあまねさんがいる間に挑戦すればよかったんだよね。
けど
自信がなかった。

やりたいこと、と 自分にできること って違うんだ と思う。
だから、
自分にできる、今の仕事で
いつか関わりが持てるように って進んでいければいいと思っていたのだ。

ひっこし

2007年1月20日
いよいよ今週。
今日はあまねさんがゴルフに出かけた。
用意して、送り出すのも、、、楽しいな。

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30日の最終の飛行機で帰るらしい。
空港まで行くよ
と言う話をしていたら、
えー 空港はやめろよ。
お互いに辛いぜ って。
でも いいかー 行くか と言っていた。

湾岸

2007年1月20日
食堂に行った。
踊る〜で出てきたらしい。

昨日結局あたしは会社に戻ったので
ちらちら姿を見に行ったりできた。

帰り道、本社の前で待っていた。
いつもは歩き出していて会社の前でなんて会わないのに(ばれるといやだし)
いてくれたのがうれしかった。

それでごはんを食べて
ゆりかもめで帰った。

もう、情緒不安定は取れたか? と聞かれた。

とれましたとも。

で、明日からのお休みの予定とかを話していて、
30日に見送るよ と言ったら、
おまえ 絶対泣くから会社行け。
と言われた。
なかないよ〜 と言ったら
おまえのそれは信用できん 
と。。。
え。。。泣かしてよ。。。。。

まぁ 実感わかないままお休みに突入。

「沖縄の生活に慣れるまで2年はかかるな。
そうしたらおれ30だよ〜おまえは2年たっても28だろ、
いいなぁ。 
おれ、いま、親いなくなったら帰るのキャンセルするぜ。
2年後とか また 今の会社受けるかも〜」
とか言っていた。

そっか。ほんとに東京っていいところなんだろうな。
あたしは 東京はきれいだし集まっていると思うけど、
なんで東京がよかったのかというと 大した理由がない。
地元より南(あったかいほうがいい)がよかったのと、
首都だから というのかな。
あと地元に帰るとき楽だけど、ひとりになりたかったから
地元を出た。
というなんか、、、特に東京に未練はないんだよね。
そりゃ ゆりかもめから見る東京はとってもきれいで
ここで生活は楽だけど。

あまねさん、ほんと 親 がいるから帰るんだ。
やさしいこだなぁ。

電車

2007年1月19日
あまねさんの最後の出勤日。
昨日の夜も、あたしの知ってる先輩と飲んできた。
昼間にあいさつ回りをしたときに、
本当にいろんな人や、お偉い方に ぜひのみにいこう とか
連絡先教えて と言われたとよろこんでいた。
あまねさんは本当に ひとで営業してますよね、クレームとか
言いにくかったです とか言われちゃった〜 と言っていた。

そう思っていたよ、やっぱひとは見ているんだなぁ。
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昨日はそんなこんなで盛り上がり、
なぜか死体やらいろんな話をして 気づいたら2:45だった。
こういう時間の過ごし方、本当に好きなんだよね。

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昨日はもうひとつ。
お風呂から上がった後に、
いつも 首とか手とか足とかのマッサージとかケアを
してるんだけど
それをみて
おまえはいつもそういうことしているけど
ずっとやっているのか 効果あるのか
とか
言われた。
見ていないようで見ているひとだ。

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今朝、電車で、ちょっと話をしていて
あたしが わーどきどきする〜 とか言った。
したらあまねさんが、
「なんでおまえがするよ。...半年遊べばいいだろ」
と言った。
ほんとに半年って あまねさんに刻まれているんだ と思った。
半年じゃ足りない一年 とか 言われて
来ないと思われているのか 最近はこの話題もしないし
わからなかった。
でも、ちゃんと、何度か言ったことは刻まれているんだ。
うれしい。

しかもその後で、、、「姉ちゃんと遊べ」と言った。
確かに、 変な意味でも一瞬受け取ったから
言い直してくれてよかったよ。

光がほんのわずかだけど見えた気がした。

駅でじゃあね って言うときに
あたしの腕をぽん って叩こうとしていた
そういうのもめずらしくて、
うれしい。

あまねさんが帰るのは30になった。。。
しかも会社に最後の挨拶してそのまま帰ると。
いよいよなんだ。
昨日、おそばを食べて帰った。
送別会でバスケットボールのバランスボールと
ネクタイをもらったのに、
置いてきたらしく、取りに行っていた。

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帰ってさすがに寝ていたけど
無理やり話しかけた。

ねーね 今どんな気持ち?楽しみ?
「特に実感ない。ちょっともったいない気もする」

もったいないね。もっと仕事やりたかった?
「もっと若かったらな(あまねさんは2年年上であたしと同期なので)」

ここで もううるさい!と言われ明日な と言われた。

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そっか 年齢で帰るんだ。実感もないんだ。
新発見。
こんなにそばにいるのに 分からないなんて。

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また、昨日姉に電話をした。
最初はよかったけど
結局恋愛の話になると もう …険悪ムードで終了。
本当に 許せないんだもん。
全ての生き方を否定するくらい嫌。
それでいて あたしに口を出すところが本当に嫌。
電話しなきゃよかった。

1月17日の日記

2007年1月17日
昨日は会社は違うが同期の女の子とごはんを食べた。
「半年後に行くことは、
未来が見えないならリスクが大きすぎる。
こう、今の年齢ならいいけど、何年か経って
結論が出て、例えばこっちに戻ってきたときに、
30歳くらいだったとして、
そこからやり直すのは リスク。
だから、行くとしたら 将来の光があることを
言わせないと」と言っていた。

でも、あまねさんは未来のことは言わないし、
考えてもないと思う。
当たり前だ。
帰っても、契約社員だし、
どうなるか、はほんとに落ち着かないと分からんと思う。
しかも、
あたしとは、「しょうがない」と思っていると思う。
それくらいのものなんだ。
だから、今未来を迫っても仕方ないと思うんだよね。

あたしは、一緒にいたい。
だから、関われる距離に行く。
それで選ばれなかったら、そのとき、仕方ない って言うし、
それで帰ってくるほうが 自分だと思う。

ばかみたいだし、
未来はない的な決定的なことも言われているんだけど、ね。
来てもどうにもならんよ、とか。
それでも、 彼が結婚するまで
期待するんだと思う。

狂っている、けど。
この半年間をどうする とかいう話はしていない。
31日に帰ることだけ決まっていて、
その後、連絡をとる、とかそういう話はしていない。
けども、あたしが遊びに来たときに
車に乗せてやるよ みたいなことは言ってくれた(深い意味は多分ないし、それは 友達として と言う意味かも)
ただ、
本当に関わって生きていくことが望みだな。
遊びに行ける、よろこんだりつまづいたりしたら電話する。
それが 望み。
まぁ 一番は 来い!っといわれたいけど。

あたしは、結局受身だ とも言われた。
過程は、あたしが押して押してるけど、
結果は 自分で出さない と。
でもさ、
結論は 自分で出したときに あまねさん賛同するの?
たぶんしないよ。

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